セイル・ザ・シップ・ヴィンヤードの100年後を見据えたワイン作り。目指すのは出汁のような優しい味わい

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現在、日本には300を超えるワイナリーが存在しています。農業が縮小している近年でも、ワイナリーは国税庁の調査では毎年20~30場ずつその数を増やしています。その中でも、注目を集める産地の一つが長野県。

今回取材したセイル・ザ・シップ・ヴィンヤードも長野県は上田市にブドウ畑を構え、委託醸造でワインを製造しています。来年には自社のワイナリーを設立するというセイル・ザ・シップ・ヴィンヤード代表の田口さんに、ワイン作りを始めるまでのストーリー、そして作るワインのこだわりを伺いました。

商社マンからワイン作りの道へ

3ヘクタールを超える畑に連なる青々としたブドウの樹。今年で5回目のワイン作りを迎えた田口さんが、この畑を始めたのは2016年のことです。ワイン作りに興味を持ったきっかけは、学生時代の体験にあると言います。

「学生時代にスペイン料理店でアルバイトをしたのが、ワインを本格的に飲むようになったきっかけです。でも、当時はワイン以外にもウイスキーやビールへの関心も高くて、1年間大学を休学してワーキングホリデーでアイルランドに行ったんです。最初はギネスビールやアイリッシュ・パブの文化に興味を持っていて、蒸留所やパブを見学して回っていましたが、ヨーロッパ圏のワインをたくさん飲むようになったらその奥深さにはまったんです。それでも、大学卒業後は一度は商社に就職しました」

“無難な”道として一度は都会での商社勤めを選んだ田口さん。会社員として働きながらも、心の奥底ではお酒への情熱を感じていたと語ります。商社に入社してから2年後、数少ないワイン作りのプロへの道を探し、京都のワイナリーへと転職します。

「商社で働いているうちに、だんだんとやっぱりモノ作りをしている人に憧れを抱くようになりました。日本酒の杜氏さん、ウイスキーのブレンダーさんなど、お酒作りに関わる人がかっこよく見えたんです。その中でも、やっぱりワイン作りに関わりたいなという思いが強く、ワイン作りに携われる就職先を探しました。業界に知り合いもいなかったし、求人もあまり出ていないし、全くの未経験なので探すのには苦労しましたね。たまたま京都のワイナリーが求人を出しているのを見て、思い切って千葉から京都に引っ越しました」

苦労の中でも自分でブドウを作る理由

田口さんの転職先は観光名所・天橋立にあるワイナリー。自社で畑を持ち、営農も醸造も、さらにはレストランの運営まで行っていました。ブドウの収穫シーズンはもちろんのこと、ゴールデンウィークやお盆休み、年末年始など、忙しい日々が続いたと言います。農業未経験だった田口さんはブドウ作りやワイン作りの基礎をここで一から学ぶことになりました。何もわからない状態から経験を積むうちに、次第に「自分の作りたいワイン」の形が見えてきた田口さんは、独立を考え始めます。

「やっぱり誰かの指示の下で働いていると、自分の作りたいワインを100%表現することはできないなとわかりました。もちろん始めは何も知らない状態だったので、勉強にはなります。けれど、自分のスタイルや、自分だったらこうしたいなという道筋が見えてきて、独立を決めました」

田口さんの作るワインは自社のブドウのみを使って作られています。京都の次は長野県上田市へと移り、自らブドウ畑を開園しました。田口さん曰く、一番大変なのはブドウの樹を植えるまでの開園作業なのだとか。現在の美しいブドウ畑に至るまでの苦労とワイン作りの場所として上田市を選んだ理由も教えてくれました。

「僕もワイン業界に入って初めて、日本のワイン作りの状況が見えてきて驚いたことがたくさんありました。例えば、ブドウ畑を借りたいと思っても、そう簡単に土地を貸してくれる自治体はありません。果樹を植えるのってハードルが高くて、柱を立てたり設備もたくさん必要なので、1回開園してしまうと辞めにくい。だからそもそもワインブドウの生産をやっていない地域だと、行政に話すら聞いてもらえず門前払いされてしまうこともあるんです。そんな中でも、この上田市は果樹栽培に理解があって、雨が少なく寒暖差が大きく気候や土地の面でもワインブドウ作りに最適でした。コンクールにも入賞するような美味しいワインの生産者もたくさんいて、いまの日本のワイン作りの現場として面白い地域の1つが長野県だと思いました」

樹を植えてからも試行錯誤の繰り返しです。現在、田口さんは10種のワインブドウを育てています。春先から秋にかけては朝6時台から畑にやってきて、それぞれの品種に合わせた手入れを繰り返していきます。畑を始めて3年目には、「接ぎ木」(※1)がうまくいかずに、多くのブドウが枯れてしまうなんてアクシデントもあったそう。それでも、田口さんが手間を惜しまず自らブドウを育てる理由はどこにあるのでしょうか。

「初めから出来上がりのワイン像を意識して栽培できるのが、自分でブドウから育てることのいいところだと思います。自分が作り出したい味わいや、世の中にあまり出回っていないマイナーな品種も自分で育てれば原料を確保することができます。どういうブドウが作りたいか、ではなくてどういうワインが作りたいかというスタート地点に立って作った方が、理想の味に近づきます」

目指すのは「優しいワイン」

そんな田口さんが目指す理想のワインとはどんなワインなのでしょうか。数々のワインを飲み歩く中で、田口さんが影響を受けてきたのはフランスのクロード・クルトワにアレクサンドル・バン、日本では山梨のドメーヌ・オヤマダの小山田幸紀といった作り手たち。彼らに共通するのは、自然に寄り添ったワイン作りの考え方だといいます。

「農薬をあまり使わずに自然と共生しながらどうやってブドウを作っていくのか考えている人たちです。ワインもなるべく手を加えずに、見守るように育てる作り方に感銘を受け、僕もそういったワイン作りを目指すようになりました。なので、僕の理想のワインは一言でいうと、優しいワインです。環境にやさしく、味としては出汁のようにすっと体にしみ込む、そしてうまみのあるワインを目指しています」

ありのままのブドウの旨味を引き出すために、田口さんの畑ではブドウをぎりぎりまで完熟させてから収穫します。雨の影響を受けやすいブドウは、収穫間近に1日でも雨に当たれば味わいが変わってしまいます。最もブドウのポテンシャルを引き出せるタイミングにこだわって収穫の時期を見極めます。砂糖を使用せずに、ブドウ本来の力だけで甘みや旨味を作り出しているのです。

これまでに販売されているワインは3種類。複数のブドウを混ぜてタンク内で同時に発酵させて作る混醸のワインが「Mr.Feelgood」の赤白です。赤はメルロー76%、カベルネ・ソーヴィニヨン13%、その他にも複数のブドウを混ぜて作られます。熟したベリーのような香りに、シナモンやクローブのスパイシーさ、さらにハーブの爽やかさも感じられる、緩やかなのに複雑な味わいです。それに対して白は、シャルドネ53%、ソーヴィニヨン・ブラン42%でできた明るくコクのある味わい。ハチミツや熟したオレンジ、カリン、パイナップルのような果物の香りが特徴的です。もう1種類は2021年にリリースされた「keshiki」。田口さんお気に入りのブドウ、カベルネフランのみを使用したワインです。繊細かつ軽いのに色っぽい、魅惑の1本です。2021年に一般発売された3種のワインは、なんと発売から2日あまりで売り切れになるほど人気を集めています。さらに、味や香りに加えて商品名やラベルにもこだわりがたっぷりと詰まっています。

「Mr.Feelgoodは上田市在住のデザイナーさんと相談しながらラベルデザインを決めました。ワインって『○○シャルドネ』とかブドウの品種を使ったような商品名がよくあるのですが、それだと飲む人は『シャルドネにしては〇〇だね』とかってブドウの品種ありきで飲んでしまうと思うんですよね。でも、そういうことを考えずにただ楽しく飲んでほしい、そんな気持ちを込めて名付けました。ラベルデザインも他にないような楽しいデザインですよね。keshikiは、景色と気色をかけ合わせて名付けました。ブドウ畑の美しい景色と未来への兆しや予感、そんな定まらない綺麗さが現れるようなラベルデザインにしています。味ともマッチしているとよく言っていただきます」

100年後、200年後のワイン作りの土台に

ワイン作りを始めて数年。理想のワイン作りを目指して進んできた田口さんですが、変わったのは技術力や知識だけではなかったと言います。

「最初は自分が飲みたいワインを作ることが一番のモチベーションだったんです。好きなワインを作って、それを飲んで生きていければ最高だって。でも、商品を作って売り出してみると予想以上に周りの人に支えられている自分に気づいて。友達や家族がワインを飲んで美味しいと言ってくれたり、全く知らない人が自分のワインを買ってSNSで『美味しい』『また買いたい』と投稿してくれたりすると、やっぱりすごくうれしいんです。あとは、畑や醸造もいろんな人が手伝いに来てくれるんですよね。やり始めたときは孤独だったけれど、結局一人じゃやりきれないんです。こういう人との繋がりの積み重ねが自分のモチベーションになると気づけたのは意外だったし、学びでした」

田口さんは2023年にはワイナリーの設立も予定しているとのこと。これまでのワイン作りから蓄積された経験をもとに、より一層こだわりの詰まった田口さんのワインが広がっていきます。そんな期待高まるセイル・ザ・シップ・ヴィンヤードの今後について、最後に伺いました。

「まずは、ワイナリーをきちんと立てて、自分の理想としている味わいにさらに近づけて美味しいワインを作りたいです。生産量も増加して、より多くの人に自分のワインを飲んでいただき、この自然を活かしたワイン作りに共感してくれる人を増やしていきたいです。それから、もっと長期的な話をすると、100年後、200年後の日本のワインの土台作りをしたいです。ワインの名産地フランスだって何百年もワイン作りの歴史が積み重なったから、各土地に適したブドウの品種が分かって美味しいワインができている。それに比べて日本はまだスタート地点に立ったようなものです。僕らの世代が色々な品種やワイン作りを試して、次の世代につなげられたらいいなと思っています」

世界中で作られ、世界中で飲まれるお酒の一つであるワイン。「数えきれないほどある世界中のワインと並列で自分のワインも飲んでもらえる」。言葉も通じない人たちの間に繋がりを生んでくれるようなワインの幅広さに、田口さんは魅力を感じると言います。セイル・ザ・シップ・ヴィンヤードのワインも今まさに、日本中、世界中で飲まれるワインへと進化しようとしています。これからの日本のワイン業界を盛り上げる存在としてこれからも目が離せません。

Sail the Ship Vineyard(セイル・ザ・シップ・ヴィンヤード)

代表者:田口 航
住所:長野県上田市富士山上居守沢1960-13(畑のみ)
公式サイト:http://sailtheship.rocks/
Facebook:https://www.facebook.com/tagck11
Instagram:https://www.instagram.com/sailtheship_vineyard/

※1:近い種類の2つ以上の植物を接着し、新たな1つの植物として育てる技術のこと。枝や芽などの一部を切り取り、ほかの植物に継ぎ合わせる。害虫対策や果樹等の増殖促進のために活用される技術。

撮影:関口史彦(オフィシャルサイト

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