小田急線和泉多摩川駅から歩いて30分。閑静な住宅街を進むと、伝統的な蔵作りとガラス張りの建物が見えてきます。人が頻繁に行き交う活気あるお店は、籠屋秋元商店です。
籠屋秋元商店は明治35年に創業され、全国の酒蔵を巡り厳選した地酒を取り揃える地酒専門店です。2017年にはクラフトビールの醸造所である「籠屋ブルワリー」と、レストランの「籠屋たすく」を立ち上げ事業を広げています。
その中でも特に目を引くのが、ブルワリーで生み出される「和食に合わせる日本のビール」です。日本の伝統技法を取り入れたビールなど、豊かなビールは完売続出の人気ぶり。代表取締役社長 秋元慈一さんと籠屋ブルワリー醸造責任者の江上裕士さんにお話を伺い、地酒専門店の強みを活かしたビール造りに迫ります。
籠屋秋元商店は、竹籠をはじめとした竹細工をルーツに持ち、そこから「街の酒屋」、日本全国の地酒を取り扱う「地酒専門店」へと発展してきました。そんな地酒専門店が、なぜクラフトビール事業に踏み切ろうと思ったのか。そこには「地元に根ざしたモノづくりがしたい」という思いが原点にありました。
秋元
「昭和初期、籠屋はお酒や食品、タバコなどを幅広く取り扱う街の酒屋でした。しかし、1990年初めには酒類販売に関する規制が緩和され、近年はインターネットが普及したことで、誰でも珍しいお酒を購入できる世の中となりました。
競争相手が増える中で、駅から遠く離れた籠屋に足を運んでもらうにはどうすればよいのか。そう考える中で、生き残る術として地酒に特化したという背景があります。しかし地酒に特化するあまり、お酒好き以外は寄り付きづらいお店になり、地域の人が離れてしまった時期があったんです。
震災時に食料不足だった際に、水や缶詰も販売していると張り紙を張っても誰も来てくれなかったのはなかなか印象深いエピソードでしたね。どうにか地域の方との距離を埋めたいと思い、地酒専門店の強みを活かし、地域に根ざしたモノづくりをしたいと考えるようになりました。」
地域に歩み寄り、もう一度地元で愛される地酒屋になりたい。その想いが起点となって始まったビール造り。数あるお酒の中で、ビールを選んだのは「もったいなさ」を感じたからだと秋元さんは言います。
秋元
「ビールは最も食事に合わせづらいお酒だと思っています。すぐにお腹に溜まるうえに、味わいも似た感じがして。お寿司屋さんでビールを頼む人も多いと思うのですが、生魚と合わせると生臭さを感じるという声もよく聞きます。だからこそ、食事に合うビールを造ることができれば、多くの人に喜んでいただけると思ったのがきっかけです。」
ビール造りを決意した秋元さんは、大学の後輩でサントリーでビールの研究開発を行っていた江上さんに声をかけブルワリー※を立ち上げます。当初は狛江に根ざした地ビールを造るつもりだった秋元さんですが、江上さんとの出会いで世界を視野に入れたビールを考えるようになります。
※クラフトビールを造っている小規模醸造所
江上
「サントリーで一通りビール造りを学ぶ中で、世界で通用するオリジナルのビールを造りたいという想いが大きくなっていました。今やビール製造の技術力は高まり、原料も簡単に購入できることから、誰でも一定の品質のビールを造ることができる時代です。そのような製法をいくら突き詰めても、大量生産大量消費に近づくだけだと、ずっとジレンマを抱えていたんです。
一方でクラフトビールは『造り手がその場所でしか造れないビール』なんです。この一般的なビール造りとは真逆の価値観こそ大切にすべきだと考え、世界に類を見ないビールを造りたいと思うようになりました。
唯一無二のビールを考えたときに、一番に思い浮かんだのは『日本ならではのビール』です。そして『日本ならでは』を謳うのならまず『日本人の美味しいと思うビール』を造るべきだと思いました。日本人は食事と一緒によくビールを飲みますが、懐石料理やお寿司などの日本食とビールの相性はあまりよくありません。だからこそ、籠屋ブルワリーでは日本人に受け入れられる『和食に合わせるビール』をテーマに掲げることに決めました。」
「和食に合わせるビール」を開発するうえで、カギとなったのはなんと日本酒です。日本酒造りの中でも難易度の高い木桶を取り入れ仕込んだ「和轍(わだち)Japanese Ale」は、独特の酸味が感じられる珍しい一品。世界でも同じ製法は存在しないと言う「和轍」はどのように開発されたのでしょうか。
江上
「和食に合う代表的なお酒と言えば日本酒ですよね。そこで、つながりのある酒蔵や日本酒業界の動向を追いかける中で、酸が効いたお酒に注目が集まっていることを知りました。酸味を生み出す伝統的な製法の『生酛造り※』が注目され始めており、そこからインスピレーションを受けて酸味の効いたビールを造ろうと思ったんです。
すぐに生酛造りの第一人者である新政酒造で勉強させてもらったのですが、そこで木桶の存在を知りました。生酛造りには木桶が用いられるのですが、新政酒造がちょうどそのころ木桶を導入し始めた時期だったんです。
木桶はとても扱いが難しく、洗浄の方法や仕込みの季節、蔵の環境で味わいが大きく異なります。そんなコントロールが難しい木桶だからこそ、上手くいけば唯一無二のビールが生み出せるのではないか、クラフトビールに必要なのはこれなのではないか、とピンと来たんです。」
※生酛造り:天然の乳酸菌を取り込む伝統的な日本酒造りの技法
木桶に可能性を見出し商品開発に乗り出した江上さん。しかし、最初は発酵が上手く進まず苦戦を強いられ、商品として売り出すまでに5年もの歳月を費やしたと言います。
江上
「木桶は本当に生き物のようで、読めないんですよ。原料やビールの種類、木桶の洗い方、休ませ方によって全く違うものが出来上がります。ステンレスタンクと同様の製造方法でも木桶の方が美味しいものがなかなかできなくて。ただちょうど去年くらいから木桶でも良い味わいのものが出来始めました。
『和轍』は和食の中でも特にお寿司のコースに合わせるためのビールです。味わいは、例えるなら日本酒の純米吟醸のような華やかさではなく、食事の味を邪魔しない純米酒のような口当たりです。ずっと飲み続けられるような、奥深さや艶やかさを感じられます。その中に木のニュアンスが入り、飲み終わりの余韻や締まりの良さを感じられるのは木桶ならではだと思います。」
今後は和轍のシリーズ商品として赤ワインをイメージした「和轍 赤」、白ワインをイメージした「和轍 白」も開発予定とのこと。また、樽で熟成させる商品など、「和轍」を軸に世界に発信できる商品を生み出していきたいと江上さんは意気込みます。
「日本を代表するビール」の開発に力を入れる一方、もう一つの軸となるのが地域と協力して造る「ローカルビール」です。狛江市の小川農園で栽培されたホップを使用した「狛江ホップ」や狛江市の枝豆から生まれた「こまえ~る 枝豆発泡酒」など多種多様なラインナップが揃っています。なぜ「世界」を狙う一方で、「地元」に根ざした活動にも力を入れているのでしょうか。
秋元
「先ほどの地元の人に歩み寄るという話にもつながりますが、籠屋は会社全体で『豊かな街をつくる』という理念を掲げています。街づくりとは行政ではなく人と人をつないで街が生まれることを意味し、そこからもっと街を盛り上げていきたいと思っています。うちは、ビール部門・酒販部門・飲食部門に分かれていますが、ビール部門でそれを体現した結果のローカルビールなんです。
それこそ枝豆のビール造りは、ブルワリー立ち上げ当初からの取り組みです。狛江は枝豆が特産品なのですが認知度が低く、農家さんからも作った商品がどう評価されているのか分からずモチベーションにつながらないという声をよく聞いていて。その課題を解決したいと思い始めた取り組みです。
狛江市の農家さんに毎年手伝ってもらっているのですが、さおから枝豆をすべて出すので筋肉痛になって大変なんですよ。でも、実際にビールを飲んだお客様の声が届いたり、新聞にも取り上げてもらえたりと、少しずつ貢献できていると感じていますし、農家さんにも喜んでいただけているように思います。」
籠屋ブルワリーでは、農家とのコラボレーションだけでなく、地元の人が集まる場所としてレストラン「籠屋たすく」の経営や、多摩川でのフェスなど地域全体が参加できるイベントも開催しています。特に地域の人を呼び開催する枝豆・ホップの収穫体験は、2023年には参加者が50人を超えるなど大きな反響を呼んでいます。
江上
「収穫体験は、8月の炎天下の中で行います。ものすごく暑い中での作業なのですが、みんなすごく幸せそうなんです。枝豆を収穫するなんて普段ないし、ホップなんて見たことも触れたこともない方も多くて。だからこそ、楽しみながら自然と触れ合い、収穫したものを下処理して、できたビールを皆さんが美味しそうに飲む姿を見て、豊かな体験を提供できているという感覚を強く感じられます。
以前は美味しいビールを造り販売するだけでいいと思っていた時期もありました。しかし、地元の人を巻き込んだビール造りや収穫体験を通して、人と人、人と自然をつなげる役割になれたらと強く思うようになりましたね。」
2017年のブルワリー立ち上げから「日本を代表するビール」と「ローカルビール」の2軸で事業を伸ばしてきた籠屋。同じビール造りでありながら、伝えたいことや根底にある想いは似て非なるものだと秋元さん・江上さんは言います。
秋元
「『和轍』に関しては、あえてお客様に『どんなビールが飲みたいですか?』と聞いたりトレンドを追いかけることはせず、自分たちの造りたいビールを突き詰めたいと考えています。大手企業は今求められているものに応え、マーケット先行のモノづくりをするところが多いと思うのですが、そこは真逆の考え方ですね。この姿勢は地酒専門店としての信念が大きく影響しています。
地酒屋の役割は、お酒の味わいはもちろん、造り手のお酒造りへの想いや価値観、哲学をお客様に伝えることだと思っています。そしてその想いに共感する人が増えたとき、ひとつのブランドが出来上がっていくのだと思うんです。
だからこそ『和轍』を世に送り出す際も、『和食に合うビールを造る』という想いを体現する商品を突き詰め、日本を代表するブランドを築き上げていきたい。トレンドは合わせるものではなく、作っていくものだと思っています。」
江上
「逆にローカルビールの方は、地元のお客様の声を取り入れたりマーケットを見ていくべきだと思っています。具体的な取り組みとしては、4月から和泉多摩川駅にビールの専門店を出す予定です。そこでのコンセプトもやはり『人と人とを繋ぐ、人と自然を繋ぐ』です。お店には実際にビールの造り手も立ち、お客様と交流できるようにもします。
お客様にビールを美味しく飲んでもらうことを中心として、多くの人が集まる場所にしたいですね。そしてローカルビールの認知が広がり、最終的に狛江の市民が大手企業のビールよりも籠屋のビールをまず手に取るようになれば、私たちにとってこんなに嬉しいことはないです。」
最近では、「和轍」「ローカルビール」共に完売が続くなど、地域や全国のビールファンから愛されるブルワリーに成長しつつある籠屋。最後に今後の指針を秋元さんと江上さんにお聞きしました。
江上
「特にローカルビールに関しては、商品の品切れが続き、商品を届けられるお客様に限りがあることです。なので、工場を増やし流通量・製造量を確保したいと思っています。今は委託醸造で製造量を増やしていて、販売網を広げています。最終的には今の50倍の規模まで製造工場を作る計画を立てていますね。
ローカルビールは、流通量を増やして今よりもっと手に取りやすい価格帯で販売することが目標です。最終的には、狛江市内では籠屋のローカルビールがどこでも手に入るような状態が理想ですね。
また、地酒専門店の方で取引している酒蔵さんからも、ビールの商品開発のお話がたくさん来ています。たとえば佐賀の酒蔵さんからリキュール造りで余ったグレープフルーツの皮をビールに使ってほしいという話や、ウイスキーを作っている焼酎蔵の方からウイスキーの樽でビールを寝かさないかという話もあります。そういった地酒専門店ならではのつながりを活かした商品開発にも力を入れていきたいですね。」
秋元
「この籠屋ブルワリーはいわゆるラボのような感覚が強くて、今言った取引先とのコラボ商品や『和轍』を軸にしたシリーズ商品の開発など、社員みんなで毎日試行錯誤しながら実験を重ねています。
それは次のステップのためでもあって、商品開発の先には多くの人に籠屋ブルワリーのビールを飲んでもらうことが目標にあります。今後工場を増設して製造量が増えてきたら、『和轍』の流通量も増やそうと思っています。実は今、『和轍』を飲める場所はミシュランの星を獲得したような高級な寿司屋だけなんです。今後は私たちと同じような志を持つ全国各地の地酒専門店と取引をして、販売量を増やしていきたいと思います。
この小さなブルワリーから世界を目指すには、もちろんリスクもあるし、不安も大きいです。ただせっかく商品を造って世に送り出すのだから、世界中のお客様に飲んでもらいたい。そのために、ビールの概念を覆し日本を代表するようなビールを造っていきたいです。それが私たちの使命だと思っています。」
代表者:秋元慈一(代表取締役社長)
住所:東京都狛江市駒井町3-34-3
電話番号:03‐3480‐8931
公式サイト:https://www.kago-ya.net/
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撮影:大嶋千尋(オフィシャルサイト)
事業再構築