《ドメーヌ・イチ》大切なことは、「ブドウの力を信じ、最も美しく育つ環境を整えること。」―余市・仁木の地で、日本ワインの礎を築くワイナリー

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SAKE TALK 編集部

北海道余市・仁木エリア。日本海の荒々しさと、豊かな山々の恩恵を同時に受けるこの土地は、今や「日本ワインの聖地」と呼ぶにふさわしい熱を帯びています。

そんな余市・仁木の地で、早くからワイン造りに真摯に向き合ってきたのが、「ドメーヌ・イチ(Domaine ICHI)」代表の上田一郎さんです。

東京のIT企業から一転、1999年に余市へ移住した上田さんは、有機農業(オーガニック)での果樹栽培にこだわり、日本初のオーガニックワイン認定を取得するまでに至りました。
上田さんは、ひと房ひと房のブドウの状態を目で確かめ、手で触れ、自然のリズムに耳を傾けながら、ブドウが本来持つ力を最大限に引き出すワイン造りを行っています。

「畑とブドウの力を信じる」——上田さんの言葉通り、ドメーヌ・イチのワインは、ワインを口に運ぶたびに、余市の風景と自然の息吹を感じさせてくれます。飲む人の心をそっと包み込み、温かさと安らぎを届けてくれるワインには、上田さんの哲学と挑戦の物語が込められているのです。

《バーチャル畑/ワイナリーツアー》

畑を歩き、ワイナリーを訪れ、上田さんの言葉に耳を傾ける—
現地体験のような臨場感で、ドメーヌ・イチの魅力をお届けするショートムービーです。
ぜひご視聴ください。
※2025年11月初旬の畑の様子を収録

IT企業から農業、そしてワインの道へ
―パイオニアの起源ストーリー

余市郡仁木町にワイナリーを構える「ドメーヌ・イチ」。メインの畑は、世界からも注目を集める余市町登地区に所有し、この地の温暖な気候と海風による昼夜の寒暖差、そして多様な土壌に恵まれた環境を生かしたブドウを育んでいます。

上田さんが、東京のIT企業から一転してこの地に移り住んだのは1999年のこと。仕事で余市を訪れるたびに出会った地元の人々との縁が、上田さんを余市へと導きました。

「畑を譲るから農業をやらないか」

この誘いは、上田さんにとって新しい挑戦の扉でした。

都会の喧騒から離れ、自然との対話を選ぶ決断の背景には、奥様の「オーガニックだったら農業をやってもいいよ」という一言があったと言います。

この言葉が、ドメーヌ・イチの「有機農業」というゆるぎない哲学の原点です。当初はブルーベリーなどのベリー栽培から始まりましたが、購入した畑に残されていたナイアガラやキャンベル・アーリーなどの生食用のブドウ樹が、上田さんをワインの世界へと引き込みます。大手ワイナリーに卸したブドウが美味しいワインとなって消費されている様子を目の当たりにし、次第に「自分の手でワインを造りたい」という想いが膨らんでいったのです。

そして2008年、「ベリーベリーファーム&ワイナリー仁木」を創業してワイン造りを開始。2011年には、日本で初めてオーガニックワイン認定を取得し、有機農業で自然に寄り添うワイン造りへの挑戦の第一歩を刻みます。

しかし、畑の規模が拡大するにつれ、従来のワイナリーではブドウの個性を最大限に活かした醸造や、徹底した品質管理が難しくなっていきました。

より自然に寄り添い、クリーンで繊細なワイン造りを追求するため、2020年に新設ワイナリーを立ち上げます。新たな屋号「ドメーヌ・イチ」のもと、新しい挑戦がここに始まりました。

ドメーヌ・イチ代表 上田 一郎さん

ブドウ樹と対話する日々―有機農業への挑戦

ドメーヌ・イチで実践するのは、有機JAS認証による環境にやさしい農法です。旧ワイナリー時代に日本初のオーガニックワイン認定を取得し、新ワイナリーでも2021年にオーガニックワイナリー認定を取得した事実は、上田さんの信念の深さを物語ります。

化学肥料や殺虫剤、除草剤といった農薬を一切使用しない栽培。そのきっかけが、奥様の健康への配慮から生まれたというエピソードこそ、このワインに流れる「人間味」と「優しさ」の源泉となっているのでしょう。

「有機農業のおかげか、暑くなる気候下でも酸が落ちにくいブドウが出来ていると感じています。」

近年では、地球温暖化の影響で、畑の積算温度は10年前と比べ300℃以上も上昇。アルザス地方に近い気候であったはずの余市は、今や一昔前のフランス南部と同じ積算温度となるステージへと変貌を遂げました。多くの産地でブドウの成熟が早まり、酸が失われやすくなっていますが、ドメーヌ・イチのブドウは、古くからの有機農業で育まれる生命力が、その酸を力強く支えているかのようです。

有機農業によって土壌が健全に保たれ、ブドウ樹も下草も生き生きと育っています。

もちろん、有機農業の道のりは、決して容易なものではありません。

上田さんは「自然と共生することは、決して穏やかなことではありません。」と静かに語ります。

現在、ヴィニフェラ種(ワイン用ブドウ)は有機栽培を継続しているものの、積算温度の急激な上昇により、ラブルスカ種(生食用ブドウ)は病気が蔓延し、やむなく慣行農法へと転換せざるを得ない状況となりました。

それでも、上田さんはブドウの持つ力を信じて、収穫直前まで畑で徹底的にブドウ樹と向き合います。

「種の色、ジュースの技術的な分析(テクニカル測定)などを行い、ブドウの品質が完全に確認できるまで収穫日を決定しません。」

この“ブドウの語り”に耳を澄ませる姿勢こそが、ドメーヌ・イチが品質の高いワインを生み出す核心です。

川底が隆起した畑。「テロワール」が語るドメーヌ・イチの真価

ドメーヌ・イチの主要な畑は余市町登地区にあり、ピノ・ノワールを中心にゲヴュルツトラミネール、ドルンフェルダー、ピノ・グリが栽培されています。

ドメーヌ・イチのピノ・ノワールが持つ「紅茶のような心地よく芳しい香り」は、この畑のテロワールがもたらす唯一無二の個性です。そのテロワールとは一体どのようなものなのでしょうか。

上田さんのお話を聞くと、成り立ちが極めてユニークな畑であることが分かります。

「この余市の畑は、川底が隆起してできたものなんです。そして少し歩けば、海があるような地形でした。周囲の泥灰農地を改良するために、ここの山の表土を削って運び入れたので、かなり古い地層で構成される複雑な土壌となっています。」

海が近いことで、ミネラル分を含んだ潮風が吹き、川底の隆起と古い地層が織りなす複雑な土壌構成が、他のブドウ産地では感じられない複雑で、心地よいアロマを生み出しているのです。

ラベルデザインにもこの自然の恩恵が反映されています。余市・仁木のシンボルであるシリパ岬、余市湾、余市川が描かれ、ブドウが育つ風景そのものを象徴しています。

このラベルに思いを馳せながらグラスに注ぐと、余市の大地の空気までが漂ってくるかのようです。

2025年のブドウ─自然との熾烈な闘い

上田さんが語るように、「自然と共生することは、決して穏やかなことではない」という言葉の重みを、2025年の栽培状況が雄弁に物語っています。

2025年、畑は想像を絶する困難に直面しました。気候面では、これまでで最も高い積算温度(1,700℃越え)となったことで、南方系の病気との闘いに苦労を強いられました。さらに、害虫・鳥獣被害が深刻化。蜂に実を刺されたり、鹿・アライグマなどの動物や鳥が実を食べてしまったことで、収量は例年の4割減に。さらに、この年は瞬間風速21m以上の突風にも襲われ、ブドウ樹を支える杭が抜けて倒壊するという被害まで出たのです。

こうした極限の状況下で収穫された2025年のピノ・ノワールは、ドメーヌ・イチに「例年とは異なる造り」を決断させました。完熟時期にバラつきがあったため、細かく収穫せざるを得ず、例年は3/4 除梗、1/4 全房で仕込んでいたものが、除梗する時間的余裕がなく、100%全房発酵という造りとなりました。

「100%全房の自然発酵なので、正直、私にもどういうワインが出来上がるのか分かりません。ドメーヌ・イチのファンには、例年と異なる面白さを体感してもらいたいです。」

この予想外のヴィンテージは、ドメーヌ・イチのファンにとって、自然の力をそのまま映し出した、極めて貴重な一本となることでしょう。

醸造の現場─2024年ヴィンテージの評価

一方、現在ワイナリーで仕込み中の2024年ヴィンテージは、上田さんが「これまでで一番良い」と感じるほど、素晴らしい出来栄えだと言います。

気候に恵まれたうえ、夜の冷え込みで寒暖差が大きくなり、良質な酸を残してくれました。病害や鳥虫獣害も少なく、ピノ・ノワールだけで5樽(ワイン約1,500本分)を仕込めるほどの収量がありました。

ヴィニフェラ種のブドウは、毎年10月の収穫後、約1か月の発酵期間を経て、樽熟成へと移ります。醸造容器は、酸化を防ぐため、常にヘッドスペース(空気に触れる部分)が少なくなるように、ステンレスタンクやポリタンクを収量に応じて使い分けます。圧搾機も、少量の場合はバスケットプレス、大量の場合は大型のバルーンプレスと、ブドウの状態に合わせて使い分ける徹底ぶりです。

そして、樽貯蔵庫は、上田さんのワイン哲学を守るための聖域です。夏はクーラー、冬はストーブで室温をコントロールし、室温は15℃、夏場でも上限19℃に保たれています。この徹底した温度管理は、ワインの穏やかで自然な熟成を促すために不可欠な要素なのです。

「ブドウが8割以上」という言葉に込めたドメーヌ・イチの哲学

ドメーヌ・イチの目指すワインは、「日常を邪魔しない、優しい味わい」です。

近年、温暖化の影響でタンニンが強くなりがちな傾向にある中、上田さんは「どうやって柔らかく造るか」を常に考えていると言います。プレスを優しめにする、醸す時間を調整するなど、醸造技術でタンニンを和らげ、人を癒やすようなワインを目指しています。

「日本酒は、品質を決めるのは米が2割、造り手が8割と聞きますが、ワインは逆で、8割以上がブドウで、人はちょっとお手伝いする程度と考えています。」

この言葉の通り、上田さんは「畑に行って、樹の状態を見ること」を何よりも大切にしています。

《良質なブドウがなければ、満足するワインはできない。》

この信念のもと、上田さんは有機農業という困難な道を選び、一歩一歩、畑と向き合っているのです。

日常のカジュアルな喜びを守るための「価格」

上田さんの優しさは、ワインの価格設定にも表れています。現在、ドメーヌ・イチのフラッグシップであるICHIシリーズは3,000~4,000円ほどで販売されています。

「私が値段を上げたら、飲食店で飲める価格が2万円や3万円になってしまいます。これは本望ではありません。皆さまにカジュアルに飲んで、楽しんでもらいたいと考えているので、なるべく手の届きやすい値段で提供するようにしています。」

自身のワインを特別な飲み物ではなく、日常に寄り添い、「親しい人との時間」を豊かにするツールとして提供したいという、造り手としての深い思いやりが込められています。

しかし、近年は温暖化の影響もあり、リリース直後よりも、少なくとも1年ほどは寝かせた方が、マイルドな美味しさが出てくると上田さんは言います。特に2021年のワインは硬い傾向があるため、自宅でゆっくりと熟成させることを推奨しています。

ドメーヌ・イチが目指す「優しい味わい」を真に楽しむためには、飲み手の「適正な保管」も不可欠なのです。

ドメーヌ・イチのワインを最良の状態で楽しむためには、14〜16℃での保管がおすすめです。日常での温度ブレが少ないワインセラーで管理することによって、余市のテロワールが育んだ芳香や味わいがさらに開き、グラスに注がれる瞬間の感動を増幅させてくれることでしょう。

未来への展望と「ヴァン・ジョーヌ」への夢

上田さんの挑戦は止まりません。新しく取得する日当たりの良い南斜面の畑には、メルローを植える計画だと言います。余市というテロワールで、メルローがどのような表情を見せるのか、ワイン愛好家の期待は高まるばかりです。

そして、上田さんが抱く最高の夢は、ヴァン・ジョーヌ(サヴァニャン種から造られるジュラ地方の辛口白ワイン)を自身の畑で造ることです。

「私はヴァン・ジョーヌが大好きなので、今後はサヴァニャンを栽培していきたいです。自身の手でヴァン・ジョーヌを造る夢を果たすまでは、ワイン造りに心血を注いでいきます。」

上田さんの夢は、余市・仁木という地を、世界のワイン地図の中で、さらにユニークな存在へと押し上げていくことでしょう。夢を実現させるため、上田さんは今日も畑に立ちます。

ドメーヌ・イチ(Domaine ICHI)

代表者:上田 一郎
住所:北海道余市郡仁木町東町16丁目118番地
電話番号:0135-32-3020
公式サイト:https://domaine-1.com/


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