緑豊かな平野が広がる山田錦の一大産地、福岡県糸島市。広大な田んぼの中に佇む蔵から造るお酒だから「“田中”六五」なのだと、そう語るのは白糸酒造代表の田中さんです。今や福岡を代表する銘柄となった「田中六五」。その裏には、奇をてらわず、でもどこか人とは違う、白糸酒造らしい“定番”の形がありました。
全国各地で目にすることも多い「田中六五」。その原点には、田中さんの「福岡の定番酒をつくりたい」という強い想いがありました。酒造りを家業とする家に生まれ育った田中さん。大学卒業後、広島・佐賀の酒蔵で修行を積み、実家である白糸酒造に戻った田中さんは福岡にある多彩な地酒の中で「ひとつの定番」として愛される日本酒を造りたいと感じたと言います。
「例えば、新潟には久保田や八海山があるように、“これが地元の酒だよね”と誇りを持って言える定番酒があると思います。ただ、福岡にはさまざまな蔵はあるけど、人によって挙げる名前がバラバラです。そのような中で、自分が“福岡の定番”を造りたいと思ったんです。」
この定番酒を造るうえで、大切な軸となっているのが白糸酒造のブランディングスローガンである「NormCore(究極の普通)」です。「普通」という言葉の通り、目指した酒は決して派手な個性や珍しさで目を引く酒ではありませんでした。
「これは完全に私の好みでもあるのですが、昔から人と少し違うことをしたいという気持ちがあるんです。ファッションで例えると、一見シンプルな服装で分かりやすく派手な装飾はないけれど、細部にこだわりや人と少し違うところがある。そういう心構えが好きなんです。
また、定番酒になるためにも他の酒蔵と同じことをしても仕方ないという思いもありました。結局、少し違う部分がないと目を留めてもらえないですからね。」
「田中六五」をはじめ、白糸酒造のすべての酒は、江戸時代から続く「ハネ木搾り」で造られます。ハネ木搾りとは、全長8メートルもの木材をテコの原理で動かし、1個40〜110kgの石を使いながら、もろみを入れた酒袋をゆっくりと丁寧に搾る非常に手間のかかる手法です。蔵で造るすべての酒にこの手法を採用しているのは全国でも白糸酒造のみ。ただし、田中さんはそれを「強み」として打ち出すことはしていません。
「実は先代までは“ハネ木搾りでやっています”と大々的に謳っていたのですが、それを前面に出したくはありませんでした。あくまでも“搾る道具の一つ”であり“究極の普通”というブランディングを体現するための手法だと思っています。正直、ハネ木搾りにしたからといって劇的に味が変わるという感覚はないんです。ハネ木以外で搾ったことがないので比較はできませんが、味の違いがあるとすれば、それよりも水の影響が大きいと思っています。
うちの酒はよく“柔らかい”と言われるのですが、それは恐らく糸島の水の特徴だと思っています。よく“水がウェット”と表現しているのですが、とろっとしてて、ちょっと湿り気があるような。それが白糸酒造らしさを形づくっているのかもしれません。」
効率や作業環境を踏まえれば、現在主流の自動圧搾機に切り替える方が合理的とも考えられます。それでも手間のかかるハネ木搾りを続けるのは、技法の優劣ではなく、酒蔵としてのスタンスやブランディングの表現手段と捉えているから。そんな想いが伝わってきました。
白糸酒造のこの姿勢を最も表しているのが、「田中六五」という銘柄です。現在、全国に展開するブランドとしては「田中六五」一種類に絞って展開しています。ここにも「他と少し違うことを」という精神が垣間見えます。
「私が蔵に戻った頃、九州では復活蔵と呼ばれる、廃業した蔵が息子の代で再開するような動きがいくつかありました。そうした新しい酒蔵の多くは、純米と純米吟醸の二種類を揃えて販売していたのですが、それを見て、“この蔵はどちらを飲んでもらいたいのか”と疑問を持ちました。
複数のスペックを並べるよりも、ひとつの酒で“好きか嫌いか”を判断していただく方が、自分の想いが伝わるのではないかと考えました。当時は製造できる量も限られていて、種類を増やすだけの余裕がなかったという事情もあり、むしろ1種類に絞ることが自然だったのです。」
田中六五の楽しみ方についても、“飲み方を押しつけない”という姿勢を大切にしています。どの料理と合わせるべきか、どういったシーンで飲んでほしいか。そうした提案をあえて控えるのは、飲み手の自由を尊重したいという考えからです。
「日本酒はビールやワインほど飲むシーンを選ばないお酒だと思っています。自社の酒に合う料理を勧める酒蔵さんも中にはいますが、“この酒はこう飲んでください”と私たちが決めることには、少し違和感があるんです。お店のペアリングならお店側が決めることだし、家で楽しむのなら味わい方は飲み手に委ねられていると思います。
私たちが目指すのは“定番酒”です。つまり、どこで、誰が、どんな料理と合わせても自然に飲めるような酒。福岡なら高級店でも近所の居酒屋でもどこでも田中六五が置いてあるって、安心感があって素敵だと思いませんか。」
派手な印象や強い主張ではなく、いうなれば「飲み手を選ばない酒」を目指す。田中さんは味わいやテクスチャーにも独自のこだわりを持っています。
「特徴があるようでない。そういう酒が理想です。“ゼリーみたいな酒”という表現をよく使うのですが、これは舌に乗ったときの感覚の話で、アルコールの球体のようなものが、何の引っかかりもなく滑らかに通り過ぎていくようなイメージです。咀嚼しても何も残らないゼリーのように、口に含んだときに違和感のない滑らかさがあるといいなと思っています。」
実際に、飲食店で最初に出され、他の銘柄を経て再び戻ってくる酒として、田中六五が選ばれることもあるといいます。その穏やかで均整のとれた味わいは、飲み手の舌に残る「基準」のような存在となっているのかもしれません。
地元福岡に根ざした酒造りを続ける中で、白糸酒造は少しずつ地元とのつながりを深めてきました。看板商品である「田中六五」が、全国展開される銘柄であるのに対して、地元向けに売り出しているのが「白糸シリーズ」です。
「どうしても“田中六五”だけだと飽きてしまう方もいます。そういった時に気軽に手に取ってもらえるように“白糸”を造りました。精米歩合によって白糸35・白糸45などシリーズ化もしています。さらに“白糸”は地元のスーパーにも並ぶような、肩肘張らずに飲める日常酒として設計しています。普通に美味しい酒が、スーパーでも買える。そういう街ってすごく魅力的だと思うんです。」
地元福岡を中心に酒造りを展開してきた白糸酒造。その視点は「素材側」にも広がりつつあります。これまで県内で山田錦を数多く仕入れてきた実績をもとに、近年では契約栽培や米作りにも取り組み始めています。
「米作りについては、以前からずっと興味がありました。ただ、農家の方々との関係性を考えると、いきなり自分たちだけで始めるのは適切ではありません。まずはしっかりと継続して買い支えることで、“この人はちゃんと分かっている”と信頼関係を築く必要がありました。その時期がやっと来たと感じ、米作りを始めることにしました。
最終的には、山を買って環境そのものに関わっていきたいと考えています。一次産業は、私たちの酒造りにとって本質的な部分です。そこにきちんと向き合い、未来に向けてつないでいくことも、酒蔵の役割のひとつだと思っています。」
取材の最後に、「今後は地元の水を使ったかき氷屋もやってみたいんです」と楽しげに語った田中さん。そのまなざしは酒造りに留まらず、白糸酒造がこの土地の暮らしの中に、自然に溶け込んでいく未来を捉えているようです。
代表者:田中 克典
住所:福岡県糸島市本1986
電話番号:092-322-2901
公式サイト:http://www.shiraito.com/
Instagram:https://www.instagram.com/tanaka65_shiraito1855/
公式通販サイト:https://shiraito.stores.jp/
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