「うちに戦略なんてものはないですよ。とにかくうまい酒を造りたいだけ。」そう語るのは旭酒造株式会社の桜井博志会長。旭酒造が製造する純米大吟醸「獺祭」は、年間売上高174億円にものぼり、一時期は入手困難で「幻の酒」とも呼ばれた有名な銘柄です。
旭酒造といえば、お酒の美味しさはもちろんのこと、業界の常識を覆す酒造りやモスバーガーなど有名企業とのコラボなど、一風変わった取り組みで度々注目を集めています。そこには緻密な戦略があるようにも見えますが、「戦略なんて難しいことは考えていません。生き残るために目の前のことに必死に取り組んでいるだけ。」と言い切る桜井会長。その執念にも近い酒造りへの情熱はどこからくるのでしょうか。
桜井会長が旭酒造三代目に就任した1984年当時、地酒は地元を中心に流通するのが一般的で、販売店は地元で名が知れた酒蔵を優遇する傾向がありました。しかし、旭酒造は地元岩国でも4番手の小さな酒蔵だったこともあり、販売店に営業してもなかなか取り扱ってもらえない日々が続いていました。さらにビールや焼酎ブームの煽りを受け、日本酒業界は低迷期に突入。旭酒造は倒産寸前まで追い込まれます。
「あまりにも地元の環境が過酷で、このままいくと窒息して死んでしまう。それならいっそのこと外に出た方がよいと考えて、さまざまな地域を開拓して、相性の良かった東京市場に進出しました。
最初は大学の先輩から目ぼしい居酒屋を紹介してもらって、地道に売り込みましたね。品質的な問題などで受け付けてもらえないこともありましたが、1990年ごろには『これは売れる』と確信を持てるほどになりました。今思えば、地元で負けたのがかえって良かったのかもしれません。」
しかし東京進出で成功の兆しが見え始めたまさにその頃、酒造りの指揮官とも呼べる杜氏が辞めてしまうという事態が起こります。杜氏とは酒造りの全行程を管理し、品質担保を担うキーパーソンです。
「東京という大きな市場で勝つためには、とにかく良い酒を造らなければいけない。だからこそ最高級と呼ばれる純米大吟醸『獺祭』の製造に力を注ぎました。もう強迫観念さえ感じていましたね。ただ、普通の酒蔵はもっとゆったりしているんですよ。だから良い酒を造ろうと追求すればするほど、杜氏はどんどん辛くなるし不満も溜まる。プレッシャーに耐えきれなかったのだと思います。」
杜氏の離職をきっかけに、旭酒造は杜氏制度を廃止し、データを活用した酒造りに踏み切ります。また、酒造りは冬季のみが一般的とされる中で、1年を通して酒造りを行う四季醸造も導入。特に酒蔵の命とも言える杜氏制度をなくすことは前代未聞です。日本酒業界からは反発や疑念の声が多く上がったと言います。
「杜氏制度の代わりに、これまでに蓄積してきたデータを活用した酒造りをするようになりました。当初は技術面などでうまくいかないだろうと随分言われました。ただ結果的に品質は良くなりましたね。杜氏の勘や経験に頼るのではなく、成功したデータを活用して次につなげていく。安定して美味しい酒が造れるようになるのは当たり前だと思います。
そもそも杜氏制度は酒造りにおいて本質的ではないと思います。杜氏は普段農家として働き、農業のできない冬場だけに酒造りをします。つまり酒造りが本業ではない。ただ本当に美味しいお酒を造ろうと思うと、1年中酒造りに打ち込むべきなんです。酒造りを極めようとすると、杜氏制度の廃止やデータ活用に行きつくのは当然のことだと思っています。」
そうして革新的な取り組みを次々に打ち出していった桜井会長。日本酒という伝統が重んじられる業界で、前例のないことに挑戦する怖さはなかったのでしょうか。
「怖さは当然あります。でも後がなかったから、躊躇している場合ではなかった。酒造りに限らずですが、挑戦できない人はみんな懸念点や失敗するリスクばかり並べ立てるでしょう?でも私はリスクをあまり気にしません。100点は目指さず65点でよいと考えています。多少失敗してもそこからブラッシュアップすればいいんです。」
国内市場での苦戦を経験しながらも、ひたすらに美味しさを追求してきた旭酒造は、今では日本だけでなく世界でもその認知を広げています。2023年4月にはニューヨークに酒蔵を立ち上げ、ニューヨーク発のブランド「DASSAI BLUE」を発売。その快進撃は止まりません。
しかし、欧米の酒市場での日本酒シェアはわずか0.2%ほど。そんな厳しい市場の中で、なぜニューヨークという土地を選んだのでしょうか。
「うちは小さな市場で他の酒蔵と争って勝てたことがない。常に負け組だった。だから大きな市場に出ることしか生き残る術がなかったんです。私が旭酒造を引き継いだ当時、50万人規模の山口県の市場では生きていけなかった。その後、2000万人規模の東京市場では、少し勝ち筋が見えてきた。つまり大きな市場では生き残れるということです。だから次はさらに大きな市場、世界の中心であるニューヨークに目をつけました。アメリカの中で獺祭が一番売れていた土地でもありますしね。」
ニューヨークの酒蔵のスタッフは、日本人スタッフ3名を除き、他6名すべてが現地採用です。桜井会長自らも現地スタッフの教育に携わる中で、文化や価値観の違いで苦戦する点もあると言います。
「日本酒造りには日本の伝統文化や価値観が色濃く反映されています。アメリカ人と日本人では生きている社会が全く違うので、文化を浸透させるのには骨が折れますね。例えばアメリカは掃除の文化が日本ほど根付いていないんです。ただ、日本酒は整理整頓なくしては出来上がりません。周辺環境は酷いけれど、タンクの中だけは清潔というだけでは上手くいかない。そこを分かってもらうのに苦労しました。」
「もうひとつは商品価値の捉え方の違いです。一般的にアメリカでは『安いものは悪い・高いものは良い』という価値観が浸透しています。『安くて良い』が通用しないんです。なのでアメリカで成功しようと思うと、地道に良いものを作るより、マーケティングを仕掛ける方が成功の近道だと思われがちです。しかし、その考え方は『手ごろな価格で美味しい酒を多くの人に届けたい』という私たちのスタンスとは相反するんです。」
小手先だけのマーケティング戦略は酒造りの観点からすると本質的ではない。美味しい酒造りを極めていきたいからこそ、アメリカの大衆社会に「獺祭」を浸透させることは難しいと桜井会長は語ります。
「今後は、アメリカ市場上位10%の富裕層をターゲットにしていきたいと考えています。アメリカ全体の人口は約3億9000万人なので、上位層と言っても相当のボリュームがあります。あくまで今までの『良いものを追求する』というスタンスは変えたくないので、この層を狙うのがベストだと思いますね。」
ニューヨークでの日本酒造りや世界各国への輸出にも力を入れ、日本酒の世界進出を積極的に進める旭酒造。順風満帆にも見えますが、「まだいくらでも売れる余地がある」と桜井会長は言います。
「例えば、コンビニや著名なスーパーでは滅多に『獺祭』を見かけません。これは私たちが売場を選んでいるからです。酒蔵が生き残るために大切なのは『社会にフィットさせる』ことです。一例ですが着物の売上は戦後7分の1に落ち込んでいて、その原因は日本人が欧米化したからなどと言われています。でも本当の原因は業界がかたくなに変わらなかったからだと思いますよ。
日本酒業界も同様です。昨今お酒を飲まない若者が増えていますが、それは若者が良い酒の味が分からなくなったからではなく、日本酒が美味しくないからです。だからこそ私たちは、お酒が飲まれないこの時代でも『獺祭は飲んでみようか』と思える酒を造りたい。そこに魔法のマーケティング戦略はありません。良い酒を造って、それを認知してもらえるように努力するだけ。昔からやることは変わっていません。私はただ『うまい酒』を造りたいだけです。」
旭酒造の特徴のひとつである「データの活用」。この言葉を聞くと自動化された酒造りを想像する方も多いかもしれません。しかし、「人の感覚とデータの融合」こそが旭酒造の特徴です。その代表的な工程をいくつか紹介します。
蒸米に麹菌を繁殖させ麹を作る「麹造り」は、酒造りにおいてとても重要な工程です。その中の「床もみ※」は機械を使わず全て人の手により行われます。いい麹を作るには米の状態を繊細に感じ取る職人の感覚がかかせません。そこは機械には変えられない工程なので、多くの人の手がかけられています。
※米の粒を引き離すように山を崩し混ぜながら、麹菌を育てる工程
製造過程では、精米歩合ごとに米の溶け具合、アルコール度数、温度帯をすべてデータとして記録しています。しかし、グラフだけでは最終的な味わいや香りは分かりません。最後は絞った日本酒を5〜6人でテイスティングして、人の感覚を頼りに出荷できる品質か判断しています。
効率化できるところは機械に任せ、人の感覚が必要な工程には惜しみなく人の手をかける。このバランスこそが、人々に愛され続ける酒造りの最大の秘訣なのかもしれません。
代表者:桜井一宏
住所:山口県岩国市周東町獺越2167-4
電話番号:(0827)86-0120
公式サイト:https://www.asahishuzo.ne.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/dassaisake/
旭酒造公式通販サイト:https://www.dassaistore.com/
事業再構築